自分の解離性同一性症の兆候

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解離性同一性障害、タイトルではあえて解離性同一症と書かせてもらったが、自分の変わるときも兆候はある。

ツイッターの企画に参加させていただいており、(@DIDhikaku)さんのテーマでもある「人格交代における身体症状や違和感とその対処法」。

自分の場合は、たいしたことではないがまとめていこうと思う。

人格が変わるときの兆候

自分の場合はまず、痙攣が起こる。体がびくっとなるので分かりやすいと言えば分かりやすい。

痙攣が起きた後交代するのだが、その時のことは覚えていない。

違和感や症状、その対処法

人格交代が苦痛になることはないが、生きている実感はいつもない。こう書いている間もない。

やや膜が張ったイメージというのが一番しっかり来る。

また、人格交代は疲れているときに起きやすく、頻繁な人格交代は疲労を蓄積させる。

この状態になってしまうと焦りでさらに行動→疲労するというパターンになってしまうので、なるべくこうならないようにするしか現状の対処法はない。

なってしまった場合の対処法はいまだ模索中である。

 

ここからは少し踏み込んで、人格交代の随意性について話そうと思う。

 

自主的に変わることはできるのか

自主的な人格交代についてだが、前の診療(記事がまだてんやわんやしていてかけていないが)の時に部屋を作ってもらった。

そこに目印となるもの(医者にスクイーズを勧められていたので猫のスクイーズにしたが)が置かれた会議室のようなものを作った。

もっともそれが機能しているのかどうか地味に定かではないのが困ったものである 。

猫のスクイーズを必死にイメージし、それを手に取れれば何となく変わる前段階は出来上がる。

そこから頭をトントンと叩いて何となく体になじんできたなと思ったら成功。

だが、いまだに一人しかできないしそれは主人格(基本人格)ではない。煩雑で粗忽者のクロである。

だが社交性をすべて担っているから、やさしいしということは少し弁明しておこう。

いまだに私はできたことがない。そもそも私が何者なのか若干分かっていない節はある。名前もなく、ブログを書いているときに生まれる亡霊みたいなものなのだろうか。

話が脱線した。

実際戻ることってできるの?

それは否。である。誰かに戻るときは、任意ではなくランダム。疲れているときのほうがころころと変わり、その分だけ疲労が蓄積される。オンオフのレバーが摩耗するようなものか。それが各人格持っていて、摩耗した分の疲れなどはすべて一人(体)に集約されるから困ったものである。当たり前だが消耗は激しい。

だが、カラオケなどで一瞬変わる(強制的に)だったりこの歌入れたいと思ったら別人格が好きな歌で別人格が歌うことも間々ある。主人格は、基本的に別人格のほうを尊敬するので変わるときに抵抗はなく、むしろカラオケなどでは変わりたいならこれ入れるし変わって歌う?などの会話がなされているようだ。

書いている者の所感

今も何者かわからないから私と書いているが、本当にブログや何かものを書くために生まれているのではないかと錯覚することはある。

ほかのものも一応物は書けるようでどれかに特化せず標準的になっているのがつまらないともいえるか。

何とか生きていきたいものである。

下はないと困るキレートレモン

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