映画「SPLIT」をDID罹患者の視点から見てみた

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みずたまブログでも紹介されていた、DID(解離性同一性障害)の人物が出ている映画「SPLIT」を見てみた。

以下はそれに関する、概要と感想である。

尚、先に言っておくが見ることはお勧めしない

まず概要を説明していきたい。

これはアンブレイカブルという映画の続編である。

ということはアンブレイカブルの世界観をなんとなくは理解したうえで見ていく必要がある。

ざっくりいうと、

精神に何かをきたした人は、超常現象的な能力を持つことが出来る

というところである。

うーーん????

まとめていても、疑問符が付くが、実際そんな感じなのだから仕方がない。

とりあえずはそこを踏まえていないとSPLITは話にならないといえるだろうか。

というか、そういうフィクションなんだねで理解しないとDID(解離性同一性障害)の人権侵害で訴えられても文句は言えないのではないかと思う。

話を戻そう。

あらすじとしては

ジェームズマカヴォイ演じるケビン・ウェンデル・クラム(主人格名)はDID(解離性同一性障害)であり、ケビン内の人格が自己を肯定するために暴力的なビーストに賛同し、ビーストの力を強めるために三人の女性を拉致してしまうものである。

主治医の話もはじめにちらほら出てきていて、意外ときちんとDIDのことについて描いてくれるのかと期待したこちらがばかだった。

ひとつ言いたいのは

DID(解離性同一性障害)はフィクションのおもちゃではない。

ということである。DIDを患ったことで銃弾を食らっても生きてるし、壁にだって登れちゃう

そんなわけあるか

と。そもそもDIDは患うものではなく、わざわざ患うという言い方をするなら幼少期から付き合っているものであって患ったのは幼少期だ。

そういうものは置いといても、多少体の使い方は違う、服の好みも違う、そこまではわかる。

ただ、人間を超えた存在で筋肉がいきなり膨らんだりってさ…。なってたらもう少し筆者の容姿もまともだわ。

あまりにも精神描写が薄すぎる。

こんなことあったのかも、くらいにしか描写されることはなく、監督の想像内で緻密な心理描写が完遂しているのだろう。こちらには全く伝わらない。

そもそもDIDという病名も知らない人が多数であるのに、いわゆるジキル博士とハイド氏的な多重人格像をふわっと(作品内のニュースや主治医のスカイプの場面描写で)植え付け、そこからはDID=超常的なクリーチャーのような描かれ方をする始末だ。主人公であるケビンに救いはなく、誘拐された三人の女性にも救いはない。(うち二人死亡、駆け付けた主治医も死亡)

生き残った方も方で脱出のためにケビンの中の幼い人格を翻弄し、揺さぶる始末。自己の存在を脅かしているのだからナイフを突きつけているにも等しい行為なんだよなぁ。正直この女が主人公という風に書きたくないし、生き残ってよかったねとも全く思わない。最後にこれから自分の傷について向き合おうとしているのかと思えばたぶんそうではないし。なんて映画だ。

最後にはずっと眠っていたケビンを呼び起こすために主人格のフルネームを呼び、この状況を打開するのだがその理由も脅迫じみている。

ケビンにとってフルネーム虐待されたときに叫ばれる名前だったのだ。

そういう風に言われたら出てこないだろう、だってもともとDID自体が嫌な記憶を切り離すために生まれたものであるのだから。

今後この監督にはDIDの一文字も使ってほしくないし、DIDを知れる作品がこれしかないことに絶望を抱く。

正しい認知がDID症状を安定させるカギだと考えているので、きちんと理解してもらいたいと思う。

最後に

フィクションで書くなら多重人格という言葉を使え!!DID(解離性同一性障害)を持ってくるな!!

以上終わり。

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