解離性症状について1.健忘

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解離性症状について本を読んだり、調べてみた。自分なりにまとめてみようと思う。

まず解離性症状で困るものとして、健忘について焦点を当ててみようと思う。

解離性健忘


解離性健忘は、いわゆる記憶喪失が主な病像です。器質的な精神障害がないにもかかわらず、通常なら簡単に思い出せるような情報を思い出せません。記憶の失い方によって、いくつかの種類に分けられています。
まず、「限局性健忘」は解離性健忘のもっとも一般的な形態です。ある限定された期間に起きた出来事を思い出せなくなります。1つの心的外傷的出来事について忘れるだけでなく、虐待を受けていた数年間など、広範囲にわたって忘れることもあります。
次に、「選択的健忘」は、ある限定された期間に起きた出来事のいくつかは思い出せるものの、すべてを思い出すことはできない状態です。心的外傷的出来事の一部だけを覚えていて、その他の部分は覚えていないようなケースが該当します。
まれに、「全般性健忘」といって自分の生活史に関するすべての記憶を失うことがあります。自分が誰かさえも忘れることがあるほか、一部の患者さんは世の中についての知識を失います。このタイプの患者さんは、困惑し、自分がどこにいるのかわからない感覚に陥ったり、目的のない放浪をしたりすることもあります。
その他、「系統的健忘」は、特定の情報に関する記憶(例:その人の家族や特定の人物、小児期の性的虐待に関するすべての記憶)を失います。「持続性健忘」は新しく起きた出来事を忘れてしまいます。 なお、複数の解離性健忘が併発する患者さんもいます。

https://e-heartclinic.com/sp/kokoro/yamai/f40/f44_dissociative_amnesia1.html

ショックな出来事(一般的な事件性があるものだけでなく、個々の感情として衝撃を受けたと感じればというところが厄介)があると一時的にその記憶がなくなるということである。

一時的というのがどのくらいの長さになるかは程度によるのでわからない。それが発症者自身に不安をもたらすのは言うまでもなく、そこから事件性のあるもの(今回の場合だと自殺、軽(?)ければ自傷行為(注1))に発展しないようなケアは必要である。

全般性健忘に至っては錯乱を引き起こす可能性もあるので処置として入院というのもある。

具体的になぜ起こるかというのは分かっていないが、性的被害や事故など本人及び周囲に危害が及ぼされるような事態に遭う、または目撃する事によって起こると思われている。

いわゆるトラウマ的体験によって、その体験を切り離すように脳が働くのである。衝撃的なことを受け止めきれないと言った方が正しい。

自分が体験したこととは思わないようにしないと、立ちいかなくなるような状態だ。つらい記憶を、自分の手の届かなくなる範囲に置くことによって一時的に忘れようとするのが解離性健忘なのではないかと考える。

ただし、解離性健忘と解離性同一性障害の健忘は少し違うものではないかと感じる。

例えばメール一つとっても、解離性健忘の場合は書いていないはずのメールがあることに驚き不安になる。

自分の症状の例になってしまうが、自分の場合、書いていないメールを見た時に書いた人格が対処するまたは、既に書いてあるのだから覚えはないけれどいつか書いたんだろうと処理をする。

過去のメールを見返し、それとなく返事をして解決すればそれで話は終わり。もし相手にそれとなく聞かれたら見返して会話をする。

自分の場合だけかもしれないが、人格が比較的少ない人は往々にしてそういうものになるのではと思う。ただし、それは任意で切り替えているわけではない。

切りかえはどこがトリガーになるか分からないから解離性同一性障害と言えるわけである。

大事な会議の時に突然幼児のような喋り方であったり言葉が発せないことや。ここがどこか分からないとばかりに虚空を見つめ、話しかければ怯えだすなど問題点になるところをあげれば枚挙にいとまがない。

その場その場で適切な人物が保てないと言った方がいいだろうか。上の例で言えば、個人的に緊張しない相手とのメールならストレスがない状態で返せるが、仕事のメールは返せたとしても確認作業に時間がかかったり、確認作業中に何をしているのか分からなくなりそのまま返せなかったりする。

要はストレスによって解離した人格ごとの記憶の引継ぎが不透明になりやすくなるのだ。

記憶は基本的に曖昧に引き継がれる。もともと解離というものが記憶を切り離すようにできているのだから当たり前と言えば当たり前なのだが。ただし、ストレス度によってランダムにその度合いは変わり、いつその場の記憶がない人格になってもおかしくないという危険性をはらむ。

それだけではなく、どこかで大きな買い物をし、あとで多額の請求書だけが届く。大きな買い物をした人格はそのときはそうすることが最善だったと悪びれずに借金だけが残る。

こういうことも起こりうる。

現在サイcholoラボ内では金に関することは承認制をとっており、一定数の承認を得られないと出さないという形をとって事なきを得ているが、それだって自分の中に破滅衝動を持つものが今のところいないから成り立っているわけで。いつ破滅衝動を持つ者が現れるかはわからない。

今現在落ち着いていたり他の人格と混ざる形で抑えているだけで、死ねば楽になれるだろうから死ねばいいのにと言っている人格が強くなれば、きっとこのブログの終わりは来るのだろうと思っている。その時は友人に終わりのお知らせを託すしかない。

他にも人間関係での健忘も起こる。

目の前で話していた人が急に見知らぬ人に見えて怖くなる。なんだか他人が親しげに話しかけてくるなぁと気持ち悪く感じることもあるだろう。

記憶の引継ぎが出来づらい=人格同士の記憶の壁が厚いとこういうことは起こりやすいのだと思う。この記憶の壁が共有しやすいままでいて欲しい。

健忘の問題点について抜かりがないとは言えないがなんとなく書けたとは思う。

また、DSM-5を買ったら紹介したいと思う。

精神系の病気の診断基準が載っていて気になっている。

みずたまブログでも紹介されていた本で今回参考にしたのはこちらである。

これは非常に分かりやすいが解離性同一性障害とは少し違う気がする。

ただ、解離性障害についてはよくわかると思う。

非常に長くなってしまった。次回は報告がてら自分の過去などを書いていくとする。

(注1)自傷行為について

自傷行為は軽いものとは思わない。そもそも自傷行為も跡が残れば、恵まれた環境だったり自分で環境を整える努力(合わないなら合う場所を探すために逃げることも含め)をしなければ仕事ができない。仕事が出来なければ金がない。いわゆる自立が出来ないのだ。

自傷行為をやめろとは言わない。そもそもそれをしないと生きている実感が感じられない者もいる。ただ、人間の体に元々傷はついていない。おそらく

傷がついていないはずのところについている→体に傷をつけることをためらわない→自分にも傷をつけられてしまう

という考えに至るのではないだろうか。

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